マンガ喫茶で「へうげもの」

この年末年始は、とにかく予定が無かったので、久しぶりに地元のマンガ喫茶に行きました。
読んでいたのは昨年の6月にBSマンガ夜話・第34弾で取り上げられていた、山田芳裕の「へうげもの」です。


マンガ夜話で語られていた、特徴ある極端な構図の作画なども面白いのですが、感心するのはその物語を展開するにあたっての時代考証のさじ加減です。
まあ、私は歴史オタクじゃない(よくコメントをくれるシステム室長はすごいけど)ので、知識の元ネタは受験勉強の残滓と「真田十勇士」と「逆説の日本史」くらいしかありません。
あくまでもそんな私の感想としてですが、エンターテインメントとして必要な「話の面白さ」を成り立たせるための大きなウソと、そのウソに真実味を持たせるための細かい、史実に基いた描き込みのバランスがとても良いと思う。武将たちがまとう突拍子もないが実際にあった変な甲冑や、茶道具類なんていうのを資料を元に細かく描き込んで舞台を整えた上で、例えば「信長真っ二つ」なんていう大ウソを展開するのがいいと思うのです。
大ウソをつくからこそディテールが大事、というのは最近のエンターテインメントの常識ですが(「ダヴィンチ・コード」とかもそうですね)、山田芳裕も雑誌連載マンガの中でそれをちゃんとやっているということです。


それともう一つ、登場人物の感情の流れが、現代に生きる僕たちが感情移入できる、今風の感覚で描かれているところも優れています。
主人公の古田織部が「武将としての出世か数寄か」で揺れるのは、「本当は趣味に生きたいと思いつつ、趣味を充実させるには仕事で評価されて人より高い収入を得なければならない」現代人と同じです。
また、南蛮文化にかぶれて洋風の衣装を取り入れたり、キリシタンになったりする大名たちの姿は、舶来もの、あたらしもの好きの今の私たちと同じです。
登場人物たちは現代風の、ちょっと軽薄な感じに書かれており、「昔の人もそうだったのだろうか」と考えると、「サムライたるものそんなことは無いだろう」という考えと「何時の時代も人は(日本人は)そんなに変わらないだろう」という思いが交錯します。
ただ、今の私たちに良く似た大名たちが活躍するからこそ、読んでいる私たちがその行動の動機や感情の動きに納得するんだと思います。例えば、6〜7巻あたりで徳川家康北政所に対するほのかな恋愛感情が表現されていますが、今後の関ヶ原大坂の陣における北政所の振る舞いに関する納得できる一つの回答として提示されてくるんじゃないかと思うのです。
また、テレビドラマなどでは淡々と描かれる千利休という人の生き方、なんていうのも、事実じゃないかもしれないけれど、今の我々に理解できるものとして描かれていて、戦国時代後期の歴史と文化の副読本としてとても優れていると思えるのです。

へうげもの(1) (モーニング KC)

へうげもの(1) (モーニング KC)