風雲児たち読了

週末の(土曜日の方の)代休をもらって、今日は休んでました。
ちょっとお疲れ気味だったので、今日はごろ寝する日にしてしまいましたが、気になっていた「風雲児たち」の残り2巻(19〜20巻)をヨドバシ秋葉原の7階の有隣堂で買ってきて、とりあえず「幕末編」に入るまでの20巻をコンプリートしました。
幕末編が2冊並んでいるのは、最初にアマゾンで間違えて買ったからです。やっと繋がったわ。
この間、私の運が良かったのは会社帰りの最寄りの書店である「八重洲ブックセンター八重洲地下街店」に「風雲児たち」の後半が19巻まで揃っていたことです(ただし私が買った後は補充されていないので、私が買った巻は並んでいません/昨日現在)。次に読みたい人にはご迷惑かけます。


さて、「風雲児たち」を読み始めたと、ここに書いたのが2月のことでしたから、およそ4ヶ月。だいたい週に1冊のペースで読み進めたことになります(最後の4冊は駆け足でしたが)。ガッコーの歴史の授業では、江戸時代になるともう、なんかどうでもよくなっていて「天保の改革」「享保の改革」「生類憐れみの令」とか「寛政文化」だの「ペリー」とかの単語が断片的に残っているだけで、ほとんど流れがよく分かりませんでしたから、良い勉強になりました。
最上徳内なんて、このマンガを読まなかったら絶対覚えなかった名前でしょう。
これでも共通一次試験(若者は知らない)は日本史で受験したのですから、受験勉強ってのは身につかないものですね。


風雲児たち」は歴史の専門家でないみなもと太郎が、資料を読み、ときどき取材(あまり行かせてもらえなかったらしい)し、自分の中を一度通した形で表現してくれているので、正確ではないかもしれないが、それぞれの人物の行動とその動機がつかみやすく、単なる総花的羅列でないのでわかりやすいのでしょう。BSマンガ夜話風に叫ぶと「史実ではないが真実なんだよ」ってところでしょうか。基本的には幕末に生きた人たちの群像を描くことが目的のマンガなので、描けば面白そうな人物もかなり大胆に省略(綱吉なんかはほとんど出てこない)し、その一方であまり教科書にちゃんと出てこない最上徳内や大黒屋光太夫の漂流記、高山彦九郎の生涯が詳しく描かれます。こうした下層の人々の人生へのこだわりが、この作品を学習マンガでない、作者の血が通った作品にしているのでしょうね。


それにしても、日本の為政者が「改革」と銘打って行ったことってほとんど「復古主義」なんですね。国が上手く治まらないのは世の中が悪くなったからだ、昔に戻そう、というのが為政者側のいう「改革」であり、それでも歴史の歯車は前に進んでいるからギャップが大きくなって国民が困窮する。そして国民がその無理に耐えきれなくなると、一気に堰を切ったようなクライシス(日本では革命ではなく、自然現象や外圧だった)がおこり、為政者はむりやり体面を保ちつつ(保ててもいないのですが)現状を追認して次にいく。江戸時代から平成まで、日本の行政は一貫してこれだったのだなあというのがとってもよく分かりました。


それと、「改革」のときに反対できないスローガンを作りますね。
「贅沢をせず倹約しなさい」ごもっとも!「人々を不愉快にする低俗な表現はやめよう」ごもっとも!!
「早寝早起き朝ごはん」ごもっともぉ!!!

ワイド版 風雲児たち 全20巻セット

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