サッカー監督という仕事

先日、「オシムの言葉」を紹介した時に、日本では分かりやすい言葉で自分のノウハウを伝えてくれるスポーツ選手OBが少ないという話を書きました。
よく考えてみたらスポーツ選手に限らず、日本では「仕事のできる人」っていうのは「男は黙ってサッポロビール」と思っている人が多くて、会社でも後輩に対して自分の仕事のノウハウを体系立てて伝えてくれる人ってほとんどいませんね。「仕事は見て覚えろ」は真実ではあるんですが、「どこが悪いのか」くらいは説明してもらった方が躓きも小さくて済むというものです。
オシム流指導方法がブームになれば、日本全体に良い影響があるんじゃないか、と期待します。


さて、そんな私はサッカーなんて小学校時代の「遊び」か体育の授業でしかやったことがないので、全くのど素人です。ま、野球も素人なんですが、一応草野球はしたことがあるし、なにせ子どもの頃からテレビで見てますから、一応見方はある程度は分かっています。
野球を見慣れた目でサッカーを見ると、何かにつけて不確実で、見ていてイライラします。適当に蹴っ飛ばして、ボールがあっちこっち飛んでるうちにたまたま味方の頭に当たったら1点、みたいに見えるんですね。
野球の場合、投げたい所に投げれる(キャッチボールが出来る)というのは最低ラインじゃないですか。
「打球がショートに出たーっ!二岡、キャッチして自らセカンドベースを踏み、一塁の李に送球…、残念、これはつながりません。赤星はセーフです」
「一度に二人を殺そうとした良い発想のプレーだったんですが、惜しかったですね。でも、二岡君、良いチャレンジだと思いますよ」
なんて野球中継はありません。野球界ではこれを悪送球(エラー)といいます。が、サッカーはこれの繰り返し。


そんな時、湯浅健二という人の「サッカー監督という仕事」という本を読みました。

サッカー監督という仕事 (新潮文庫)

サッカー監督という仕事 (新潮文庫)

それほど新しい本じゃありませんが、著者が以前からオシム=日本代表監督説を唱えていた方らしく、今読むのには良いテキストです。
この本によると、イレギュラーバウンドが頻発する丸いボールを、手よりも不器用な足で扱うサッカーという競技では、より多くの可能性を求めて無駄走りを繰り返すことが大切、なんだそうです。
なるほど。サッカーというのはフィールドの一点で待っている味方に正確なパスを出し、待っていた選手が「よしきた」とシュートして点を取る、というゲームではなく、「ここにボールが来るんじゃないか」「ここにボールを出してくれよ」と思い描きながらその場所に向かって素早く走る、という行為の積み重ねであり、得点を多く上げたければ、その状況をたくさん作って得点の確率を上げる、ということであるわけなんですね。ちょっとお利口になりました。


営業職なんていうのも、市況やら顧客の都合でどっちに転ぶか分からない注文を、できるだけ多く受けることによって売上高を上げていくのが仕事ですから、「無駄走り」はたくさんするべきだと思うんです。一方、今のご時世で、やれ「経費削減」とか「時間短縮」とか云われますから、この辺をどう解釈するかを社内で議論する、なんていうのも一興かなと思いました。「3人集まるとあいつが来る」なんて云われる営業マンがいたら、たいした奴だと思うんですがいかがか?