小さなスナック

先週の土曜日に、蒲田駅前で1時間ほど暇をつぶすことになって、喫茶店のお供に本屋に飛び込んだ。
小さい本屋であまり選択肢もなく、文庫本コーナーを眺めていたら、ナンシー関リリー・フランキーの「小さなスナック」というのを見つけたので買ってきた。
ナンシー関は1962年生まれなので、学齢でいうと私の同級生になる。
彼女が死んだのは、前回のワールドカップのさなか。日韓共催で日本中が浮かれているときだった。だからこれからもワールドカップが来る度に思い出すだろうし、年号も忘れないだろう。
テレビを題材にした辛口コラムというと、彼女より前には、かの鴎外の娘・森茉莉がいたが、ナンシー関は文章で批評した上に似顔絵をハンコに彫るというビジュアルでの批評もしていたのだから立体的である。そして政治・思想・宗教というものについてニュートラルであったので、なかなかその批評のもとになる価値観というか、尻尾をつかませないのだった。
この尻尾をつかませない(正体を見破らせない)というのが、80年代に若者だった我々の目指す生き方だった。自分が常に0の座標におり、無味・無臭・無色で生きていけるなら、人間的魅力なんて無くて結構、と思ったもんだった。
そんな我々の、代表の一人だった彼女のコラムがどれほど鋭かったか、あまりにも当時のテレビや世間の空気と密着していたので、もう若い人と分かち合うことも難しいと思うが、やはり死ぬのが早すぎた(学校で机を並べていた本来の意味での同級生も一人亡くなっているが、いずれにせよ人生これからではないか)。
「今年の清原(と巨人)」、「女王の教室」、「エンタの神様」など、彼女はどう書いただろうか?
惜しい才能だった(遠い目)。

小さなスナック (文春文庫)

小さなスナック (文春文庫)