憲法の話

先日、いつもコメントをくれる常葉1003さんのブログで「田母神問題」の話が出ていて、ちょっとコメント欄を汚させてもらったんですが、他人のブログで長いこと書くのもなんなので、こちらに引き取ってちょっと書きます。


例の航空幕僚長が「日本は侵略国家じゃなかった」という論文を書いて、それが問題になり懲戒にしようかと思ったら定年退職扱いにしちゃったので、退職金を返せ返さないともめている、という話題。


これから私が書くのはここ2週間くらいにどこかの週刊誌で書いてあったこと、というかそこにコメントを寄せていた学者(多分、慶応大学の小林節教授)の話の受け売りみたいなものです。


Wikipediaで「憲法」を引いてみました。

日本では「憲法(独Verfassungsrecht)」と呼ばれる科目であるが、ドイツでは通常「国法(独Staatsrecht)」と呼ばれる。国法とは、1.国家の基盤を規律する法規範、2.最高国家機関の構造と活動を規律する法規範、3.市民の国家に対する権利を規律する法規範を総称する概念である。日本の憲法学が、対象を、1.総論、2.統治機構、3.基本的人権の三つに分けて論じるのと趣を同じくしている。なお日本でも、一部で「国法学」の語を用いることがあるが、憲法学のなかで解釈法学的でない部分、あるいは比較憲法論のような内容に重きをおいていることが多い。

「市民の国家に対する権利」が基本的人権ということですね。国家と市民の関係において規定されていることが重要です。


おそらく、絶対王政だか専制君主だとかと戦った末に民衆が勝ち取った権利が「基本的人権」です。
つまり「国」は「国民」のここに手を出すことはできない、という約束。
西洋人にとってはそれこそ血を流して専制君主から勝ち取った「権利」であり、憲法とは「二度とこれを侵すんじゃねえぞ」と「国」に約束させた証拠としてある。


日本人の場合、民衆が自分で勝ち取ったわけでなく、支配者階級どうしの手打ちで立憲君主制の明治になりましたし、太平洋戦争に負けてマッカーサーが来たら、実は今日から民主主義になりまして…、という経験しかありません。


しかもキリスト教徒でもないので「人間は(神の前で)平等」という感覚もぼんやりしています。平等とか権利というものにもふわふわした感覚しか持てません。
「まあ、みんないっしょってんだから、良いんだよな。世の中持ち回りってやつだ」
って感じ。
ひとつひとつ圧政を力で打ち破って手に入れてきた西洋人とは拘りに大きな違いがあります。


だから専門家のはずの政治家でも「権利と義務は表裏一体」とか訳の分からないことを言います。権利って言うのはそんな相対的な物じゃない。
そういう政治家に「義務を果たさなければ権利はないのか」と改めて訊くと、たぶん答えられないと思います。
権利はなにがあっても(なくても)権利です。
いろんな障害があって勤労・納税の「義務」が果たせないからと言って、その人の基本的人権を制限することはできませんよね。権利とは何かをしたから与えられる物ではなく、おぎゃあと生まれたときに持っているものだからです。


さて、日本でおぎゃあと生まれた田母神さんにも基本的人権があり、思想信条、言論の自由が保障されているわけです。一市民の田母神さんにはね。
しかし、ここで問題が。
彼は公務員(しかもかなり上級の)だったのです。しかも自衛官
ここで、引用したWikipediaをもう一度読みます。
「3.市民の国家に対する権利を規律する法規範を総称する概念である。」
あの人は、制服を着ている限りは市民じゃなくて「国家(権力の一部)」でしょう?


公務員というのは仕事中は国家権力の手先なんだから、その立場のまま「基本的人権」を主張するのは、それだけで矛盾です。
しかもあれだけ重い立場だと、9時から5時までが公務員だ、という言い逃れも出来ません。
民間企業だって取締役は24時間取締役ですもんね。ましてや空自のトップです。麻生さんがホテルのバーで飲んでいる時も総理大臣なのと一緒です。
そもそも、仕事としていざとなったら死んじゃうような任務からも逃げられないのが自衛官(公務員)じゃないですか?
これから出撃する時に「俺の生存権は?」とは言えないですよね。
あるいは、これから選挙があって何かの間違いで福島みずほが総理大臣になったら、あの人が自衛隊の最高指揮官ですよ。
「あんな自虐史観の、サヨクの言うことがきけるか!」って自衛隊が言い出したら国を守れないでしょう?
個人の思想信条の自由なんて、仕事中の公務員には認められません。
だいたい、公務員は労働争議だってできないでしょう(民間でも中小企業はできないけどさw)?だから人事院がある。


最近、どこぞの知事さんなんかが、なにかにつけて「民間だったら」って言うから、つい役所の人=労働者みたいな感じがしますが、公務員と民間企業の労働者は、給料貰って働いているところは一緒ですが、同じ物ではない。
ただ、国をバックにした「つぶれない会社」に就職したんじゃないんです。公務員になるってことは。


公務員は国家権力の実行部隊であり、仕事中はその権力を行使しているのだという自覚を持ってないといけないし、そのことによって立場上、民間以上にいろんな制限があるということを承知してもらわないといけません。
だから、その代償として身分保障とか給与体系とかが民間と違って(多少優遇されて)いても別に良いし、そのことによって公務に誇りが持てるならそれで良いと私は思います。


でも、最近は「民間がこうなのに」とか「役所も利益を出せ」とか言う人の声が大きいです。でも、あまりにそれを追求すると、公務員が労働者(管理職は経営者)になり、あたかも一般市民であるかのように権利を主張し始め、市民や民間業者を圧迫するようになる。
もともとが国家権力である公務員が自分の権利や思想信条を市民を抑制するために使い始めたら、もはや一般市民は抵抗できません。それこそ民主主義が崩壊します。
だから自衛隊(=軍隊)に限らず、公務員に対して「シビリアン・コントロール」が必要であり、それは選挙で選ばれた政治家がしっかりやってくれることになっているんですよねえ?


ところが、今の政治家もマスコミもこの根本原理を忘れたか知らないままなので、いきなり田母神発言の内容に関する評価とか、アパホテルがどうとかの話にしてしまって、肝心の公務員がその立場では認められない「言論の自由」を主張して最高指揮官の見解を否定した、という客観的事実への総括をしていません。


というわけで常葉1003さんへのコメントにも書いたのですが、普段の支持政党はどうあれ、この件については石破茂大臣のブログでの発言はとてもよく整理されていると思うので、リンクを貼っておきます。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html