「日本人よ!」を読んで

新潮社の本でタイトルが「日本人よ!」だと、なんか右寄りのセンセイが書いた憂国の書かと思ってしまいますが、書いているのは社会主義国出身のオシムさんです。

日本人よ!

日本人よ!


サッカーについては野球の10分の1も知識がない私ですが、オシムさんの話は面白いですね。今も書店に行くと「オシムが語る系」の本がたくさん出ていますし、雑誌"Number"などはここ何回か本人へのインタビューは全く無し、表紙の写真と惹句だけ「オシム」にして、純真な読者を騙し続けています。


「日本人よ!」は本人の書き(語り、でしょうね)下ろしを翻訳した本なので、その意味ではよりオリジナルなオシムの言葉になっているんだと思います。
哲学者オシムは、「ああしなさい、こうしなさい。システムはこう」とは言ってくれません。
だいたい日本人はご託宣を与えてくれる人を尊ぶというか、重用します。でも彼は「サッカーにはこれが絶対ということはない、体の大きさとかそれぞれの持って生まれた制約と長所を自覚した上で、どうすれば勝てるか考えなさい」とおっしゃるだけです。


平均的日本人はサッカーよりも野球に詳しく、特に川上哲治が実践し、梶原一騎が広めた「野球道」を信じています。針の穴を通すような外角低めのコントロールを磨いたり、藁苞を日本刀で切りながら鋭いスイングを身につける、といった心身の鍛錬は日本人好みです。歴史的評価でも川上巨人が強かったのは、たまたまONや堀内恒夫が揃っていたためではなく、川上さんの野球道が素晴らしかったからだということになっています。その後も広岡式海軍野球や「野村の考え」など、時代時代で教祖の名前は変わっても日本のビジネスマンにとっての仕事や人生に対する考えは、野球道と同様、自らの鍛錬による成功を尊ぶものでした。「自分の仕事をやりきれば勝てると思います」ってやつです。オシムさんは、そういう姿勢は相手に対するリスペクトが足りない、と一蹴しています。


さて、バブルが崩壊し、グローバルスタンダードの時代がくると、ビジネスの現場は野球よりもサッカーに近くなってきました。


野球の場合、攻撃と守備はイニングごとに交代し、攻めるときは攻めるだけ、守るときは守るだけです。最近は室内競技場か、露天でも基本的に雨天中止です。そのため偶然性よりも重箱の隅をつつくような個人技によって勝敗が決まる場面が多くなります。
そんな競技ですから、いざ勝負というときはじっくり時間をかけ、心の中で父ちゃんや姉ちゃんに語りかけたり、背景に竜や虎を舞い踊らせながら、おもむろに第一球を投げたり出来ますが、サッカーではゴール近くのフリーキックくらいしかこんな場面はありません。それも度を過ぎると遅延行為でイエローカードをもらってしまいます。星飛雄馬はサッカー選手になれませんね。


実際のビジネスの場面でも、天候や風向き(市況)はすぐ変わるし、じっくりゴールを狙おうとしてもすぐに敵が邪魔しに来ます。相手に蹴られて怪我をしても、ボールが動いている間はタイムをかけてもらえません。
正確を期してゴールに向かって蹴るだけではなく、体勢が悪いと思えば味方にパスもしますし、逆に一人でドリブル突破しなければならないこともあります。結果に結びつくか分からなくても、可能性がある場所に走っていかなければなりませんし、大きい相手にゴールをふさがれたら、相手の苦手な高さでボールを回し、突破を図ることも必要…。


オシムさんの言ってることは、この世知辛い世の中のビジネスマンにとっておおいに参考になると思います。