システム室長は電気羊の夢を見るか?
皆さん、いよいよゴールデンウィークですね。出かけようとしたらNHKで松坂が投げていたので、出かけそびれています。
ところで、このところ昔のパソコンの話を書いていたら、いつもコメントをくれる同僚の「システム室長」氏が「俺の話も書かせろ」といいます。そんなの自分でどこかのブログ立ち上げてやればいいのに、と思うんですが、「そんなにマメじゃない」と宣うので、場所を貸すことにしました。
そんなわけで、以下の引用枠の中は、システム室長著でありますので、よろしくお願いします。
もうひとつのPC昔話 プロローグ システム室長への道(1991)〜なんだよ?キーボード・アレルギーって〜
私が入ったばかりの頃は、パソコンはおろかワープロさえ使われていないような状況で営業として得意先へ提出する企画書も見積書も、すべて手書き・・それがウチの会社の実態でした。
営業の現場で、競合する他社のカラフルな販促資料たちに比べて、なんと見劣りのする手書き文字の書類たち。なけなしのボーナスで東芝 Rupo JW-R70FⅡ(日本語ワープロね)を購入した理由がコレでした。
営業も3年生になったある日のこと、外廻りから会社へ戻ってみると、机の上に見慣れないダンボール箱がふたつ。これこそが現在の私へと続くストーリーの最初の頁を刻むこととなった NEC PC-9801NS−20 (i386SX・12MHz) でした。20MBHDDに一太郎・Multiplan・桐がインストールされたネズミ色のノートPCが何故に私の元へやってきたのか?
当時のわが社のメインバンクのOBだった総務部長と、創業社長の息子で後継者だった専務が困惑する私に宣った言葉は、
「お前、ワープロ使えるんだから、キーボードにアレルギー無いだろ?営業での使い道を研究しろ。」
もう一台あった98NOTEが、当時から最も仲の良かった先輩のekke氏に託されたことは、言うまでもありません。こうしてふたりは15年たった現在も終わりの見えていない坂を、転げ落ち始めたのです。
えー、これは私が3月15日に書いた話と同じことを彼が書いているんですね。
次回からは、彼が自前で購入したPCの話が載ります。この後も営業マンとしてPCを道具として使っている私と、コンピュータを職務にしてしまった彼との分かれ道が、どこにあるのかなどを読み取っていただくのも一興かと…。この話、続きます。