宇多田ヒカルの話

とまあ、年寄りのグチが続いているわけですが、ここ5〜6年で流行った音楽の中でほとんど唯一すんなり聞こえてきたのが宇多田ヒカルだったんですね(あと、「桃色片思い」と「さくらんぼ」も聞こえてきました、確かに)。
では、去年からずっと保留していたので、今日はがんばって宇多田ヒカルの話を書いてみます。
99年の後半だったと思いますが、そのころは仙台にいて、常に車で営業してましたから、AMラジオがずっと点けてありまして、番組の途中で"Automatic"がかかったんですね。「あー、なんかこれ、すごく良い」と思って、シングルCDを買いに行きました。それから後は基本的にアルバムは全部買い、01年のツアーで仙台に来たときは、知人を誘ってコンサートにも行きました。
他の数多のアーティストと何が違うかと言いますと、彼女は自分で歌詞と曲を書いて、それを歌うわけですが、これがその時々でどんどん変化しています。その変化がいわゆるテクニックの向上とか、「こなれてきた」のではなくて、本人の成長(肉体的・精神的な)から由来しているところが、なんというか、目の離せないところです。
あえて中年っぽい発言をさせてもらうと、15歳の女の子が大人になっていく中での肉体的変化とかそれに伴う精神の振幅と成長みたいなものがかいま見える、そのエロティシズムとでも申しましょうか。なんせ"First Love"を歌っていた数年後には"Can You Keep A Secret?"ですから。いつもお父さんがプロデュースしてますけど、娘が裸を世間に公表するための手伝いをしているようなもので、内心の葛藤たるやいかばかりかと思います。実際、本人はその間に結婚までしてしまうんだから、彼女の体質は私小説作家でしょう。去年出た・ベスト・アルバム"SINGLE COLLECTION volume1"のブックレットの1ページ目に「思春期」と書いたのは、「これらの作品を作っている間に私は少女からオトナになったのよ(この後出す曲はオトナとしての作品よ)」というメッセージに違いありません。今、日本のアーティストでこういう作品の作り方(身を削って)をするタイプの人はあまりいません。槇原敬之とかエレファント・カシマシの人はそうかな、と思いますが、後はプロデューサーと会議して、元ネタまでもらってから作ってるようなものがほとんどでしょう(想像)。安倍なつみの一件は、そのいちばん稚拙な例として表面化したものでしょう。特に疑問に思うのは、本来、主張がありすぎて言葉が音符からあふれているべきラッパーたちがほとんど世間に伝わる言葉で歌っていないことで、もっぱら語呂合わせに血道を上げています。
Utadaとしての全米デビューの結果がセールス的にボロボロで次のチャンスがいつ来るのか知りませんが(ちょっと、必要以上に相手に合わせすぎたかな?Puffyでもいいんだもんな、あいつら)、彼女の体質が変わらなければ、今後も離婚(?)、再婚(?)、出産など人生の経験を重ねる度に作品がより深くなっていくものと思いますので、私はずっと聴いていくでしょう、たぶん。最悪の場合、彼女は青春文学しかできない才能の持ち主である可能性もありますが、現段階でも十分、邦楽の歴史的な存在であることは間違いないので、それはそれで良しとします。

Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1

Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.1