中森明夫に気をつけろ

今日は寒かったですね。雪降ってましたね。
帰り道に元町・中華街駅売店で本日発売の週刊朝日が出ていたので、読みながら帰ってきました。

主な記事は「毒ギョーザ」と「前時津風親方」なわけですが、それよりも林真理子中森明夫の対談がキツかった。
つい最近まで、私は中森明夫という人を好きでも嫌いでもありませんでした。それが、去年の秋頃に同じ週刊朝日のコラムで「自分は忙しくて書けませんからタダで小説のネタをあげます。東京シティマラソンを舞台にした小説を書きなさい」というのを書いていたのを読んで以来、すっかり嫌いになりました。
だって、失礼じゃないですか?小説って言うのは思いつきのネタ一発で書けるものではなくて、取材もしなきゃならないだろうし、物語としての展開やら、一つ一つの文章の構築等に大変な労力がいるわけでしょう?中森明夫がその文を書く前から一所懸命取材して小説を書いていた作家がいたとして、単にこの中森の文章よりも発表が遅かっただけで「あ、これは07年秋に中森明夫が書いてたヤツですね」と言われてしまうんですよ。製品開発をする気もないのに商標登録だけしたり、インターネットのドメインだけ押さえて、その権利を売って金を儲けようとする行為と同じです。私たちは中森のせいで東京シティマラソンを舞台にした小説を読む機会を永遠に奪われてしまったわけです。その罪深さに全く気づかない鈍感さ!


あげく、今週の対談の中ではさりげなく「『ポスト・ナンシー関』といわれる今井舞が鋭いことを言っていた」などと業界内力学だけを意識した政治的発言を混ぜ、林真理子も自分が同程度のステージいることを示すために話を合わせています。今書店で並んでいる週刊文春で今井舞が書いている文章を見よ。もはや緊張感も向上心も危機感も失せた、おざなりな文章の羅列の何処を見て鋭いと言っているのか?秋元康にしろ、中森明夫にしろ、ついでに林真理子にしろ、ついぞ自分ならではの新しい表現を生み出さないまま、いつのまにこんなに偉くなったのか?80年代「若者たちの神々」は本当にタチが悪いです。