しつこくてすみません。(これは決して僕のライフワークではありません)

週刊朝日週刊文春の年内最終号を買いました。
普段は犬猿の仲の2誌ですが、最後は仲良く今井舞の楽しい署名記事で2007年を締めくくっています。
そして、自分でもしつこくて嫌なんですが、間違っても今井舞本人やその周囲が、彼女のことを「ナンシー関の再来」などと再び言い出さないように(最近そのアオリは見なくなっているが、まだ安心できない)、今回もダメ出しをしておきます。

まず、週刊文春はワイド特集の無記名記事の間にこっそりとビートたけしの悪口を書かせていました(こちらに対しても言いたい部分があったんですが、入院中の父に文春をあげてしまったので引用できません)。
一方、週刊朝日は堂々の4ページで「2007年炎上家族を嗤い消す」(タイトル読めねえよ)。

いずれも署名して書くほどの内容じゃないと思うんですが、わざわざ4ページも使ってる週刊朝日の記事をちょっと読んでみます。
この企画は、最近不祥事やスキャンダルでマスコミに登場した家族、「船場吉兆の母子」「花田家」「亀田家」「三田佳子一家」などを俎上に載せ、当たるを幸い斬りまくる、という形のもの(本文を引用すると「07年話題になったいろんな家族を、母子家庭育ちの私が考察するという、非常に大胆な企画である」)なんですが、初手から読者と媒体をバカにした書き出し。

家族。それは社会に置ける最小単位の集合体。(中略)それが家族だ。
とまあ、保険会社のCMみたいな安ゼリフでの文字数稼ぎにも限界があるわけだが、(中略)「家族」とは、このくらいイイ感じなものである、と言いたかったのである。(中略)家族とは、ある意味「諸刃の剣」である。

  1. いきなり字数稼ぎをしてますよ、と宣言しています。ちょっと謙遜しつつ冗談を書いた感じですが、日頃から全編字数稼ぎみたいな文章を書いているから、しゃれになっていません。
  2. 「イイ感じなものである、と言いたかったのである。」であるであると一つのセンテンス内で繰り返す感覚が疑問。読み直しとかしないんだろうか?
  3. また「ある意味」です。私は1年前にも指摘したんですが(本人は知らないだろうけどさ)。「ある意味」は同じページの中にもう1個出てくる。曰く、(亀田兄弟は)"ある意味「家族」の犠牲者といえる。"今回のテーマに限らず、「ある意味」と書けばたいていの記述はオールオッケーで、少なくとも文章のプロが濫用すべき言い回しではない。「ある意味諸刃の剣であるもの」「ある意味家族の犠牲者であるもの」はこの世の中にどれだけあるのか?あなたの名前を入れたってあてはまるでしょう?
  4. 「家族は社会における最小単位の集合体」って、字面はカッコいいが意味がよく分からない。「家族=最小単位」なのですか、「家族=集合体」なのですか?ひょっとして「社会における集合体の最小単位である」と書きたかったのかなあ?


こんな例も…

三田佳子の息子のように=引用者註)「金出せよババア!」と言って、家族に金品を要求し、断られると暴れる息子というのは、昔から困った家族トップ5の常連である。

「困った家族トップ5」。残り4つはなんだ?今井さんは考えてあるのか?こういう言い回しの中で、残り4つも考えた上で「トップ5」と書くか、「うーん、トップ3だともっと極端な例がありそうだし、トップ10だとちょっとインパクトが弱いから、5にしとくか」という考えで「トップ5」と書くかでは、文章の説得力が違う。
彼女は残り4つを考えてないと思う(1つくらいは考えたかもしれないが、それ以上は追い込んでない)。この人は常にそんな感じなのだ。


周りで「辛口」と煽っている割に、本人は常に文章の中で言い訳しています。
彼女お得意の「ある意味」の多用もそうだが、その他にもこの4ページをざっと見ただけでも、

  1. 「と言いたかったのである」(=真意が伝わってなかったらゴメンね。真意なんて別に無いけど…)
  2. 「って、勝手にそう見えただけなのだが。」(=皆さんの目には違って見えてるかもしれないけど、話の展開上私にはそう見えたことにします)
  3. 「世間の耳目を集めた」(=世間って言ったら世間よ。あなたは注目してないかもしれないけど)
  4. 「二流の生まれでよかったよかった」(=三流は卑下し過ぎだから、ここは二流にしとこ)

と、予防線張りまくり。これらの言い訳を全部削らないと辛口になりません。


ひとつの事実から自分の空想でひとつ展開した後、その展開に自分で酔って、さらに話を飛躍させたら結局誰の話でもなくなっている例がこちら。

王監督の=引用者註)娘が(3度目の=引用者註)結婚を決めたことはめでたいが、胸中は「喜び」だけの単純なものではなかっただろう。

娘の結婚に際して単純な「喜び」だけを感じる父親の方が珍しくないか?王監督の境遇ならではの独自性がなぜ書けない?


長嶋茂雄夫人が亡くなった話では、

その訃報で長年二人が別居していたことが明らかになったのが、記憶に新しい。

普通の野球ファンは、2004年に長嶋さん本人が脳梗塞で倒れた時に別居の事実を報道で知っていた。その上で今回改めてそれを確認させられた、という流れが正しい。小さなことだが、有名人をサカナにおもしろ可笑しい表現をしたいのならば、当然押さえておくべき事実というのがあって、そういうところの仕事がぬるいのだ、この人は。年が明けたら「過去の紅白歌合戦では山口百恵でさえ歌詞の『真っ赤なポルシェ』を『真っ赤な車』に変えさせられた」と、嘘の伝聞を丸呑みした文章を書くんじゃなかろうか?