システム室長は電気羊の夢を見るか?(その3)

システム室長氏から、3つめのお話が届きました。
今回登場するのはなにかな?以下、引用枠内はシステム室長氏の記述です。

もうひとつのPC昔話 第2話 NEC PC9821LS150S14 (1997)〜ふ〜ん、見掛け倒しでなけりゃいいがな・・・〜

98NOTE Aile Lsと愛称がつけられたNECのノートPCを買ったのは97年の春のことでした。


実は私は前回お話したように営業職として入社したのですが、途中でシステムの担当者へ引き抜かれました。


それまでわが社は専門のシステム管理担当者を持たず、もっぱら運用担当者と業者に任せっぱなしで、データがオーバーフローしたと言っては、SEやサービスを呼びつけるような会社でした。社内にはマニュアルさえ管理されておらず、定年直前の業務部長の頭の中に納まっているだけだったのですが、私が3年生になった頃、その部長さんが心筋梗塞で急に亡くなられてしまいました。もちろん翌日から管理レベルはゼロに等しい状態に落ち込むことになります。


近い将来に大きなプロジェクトが予定されていたこともあったからでしょう。自社内で保守・運用の管理レベルアップの必要を今更ながら痛感した専務と件の経理部長が、再び私のところへやって来たのは1年半後のことでした。


「お前、全社のシステムの専任管理者として、基幹システムの更新プロジェクトを引き受けてくれ。お前が一番コンピュータに詳しいんだから。」


こうして92年から営業を離れた私は、システムの保守管理と新システムの開発を2年間とその後、立ち上がった新システムを駆使?した経営情報管理を生業とする経営企画室勤務となったのですが、生来の「一言多い」性格が災いして大正生まれの旧態然とした創業社長と対立し、経営企画室をお役御免となってしまいました。


95年、再び営業部に拾われた私は、情報化してきていた営業現場で役立てようと最初のPCであるCx2を買ったのです。マネージャーとして2県に跨る地元の主力販売エリアを預かっていた私は、データ営業のマネゴトとしてプレゼンなどを商談現場で行う必要に駆られ、持ち運び可能なノートPCの購入を考え始めました。


薄型ノートといえる(とは言え、2cm以上はあったけど)機種が登場し始めていたのもこの頃でした。持ち運ぶ以上軽量で薄いのがいい、だけどプレゼンとかに使うなら画面はできるだけ大きく、明るいものでなくては・・・。CD−ROMやFDDを、ケーブルでゴチャゴチャ繋ぐのはどうもなぁ・・・。


結局落ち着いたのが、NECの98NOTE Aile LS150でした。97年に発売された、NECが始めてMMX対応Pentiumを搭載したパソコンです。


CD-ROMドライブとFDDを搭載した外付けユニット「ファイルベース」とシリアル・パラレル・VGAポート等の外部端子をまとめた「ポートバー」を接続することにより拡張性を備えながら、それらを分離すると厚さ29mm・2Kgという質量になります。


PC-9821Ls150/S14 model D 発売 1997年1月

  • CPU MMXテクノロPentiumプロセッサ(150MHz)
  • セカンドキャッシュメモリ 256KB
  • ディスプレイ 12.1インチTFTカラー液晶(26万色表示) 最大解像度:800x600ドット(1,677万色)
  • メモリ 標準32MB、最大48MB(EDOメモリ)
  • ウィンドウアクセラレータ CIRRUS LOGIC社製 GD7555 (VRAM:2MB)
  • フロッピィディスク ファイルベースに内蔵3.5インチ(3モード対応)
  • ハードディスク 1.4GB内蔵
  • CD-ROM ファイルベースに内蔵(最大11倍速、平均10倍速)
  • サウンド PCM録音・再生機能 MIDI音源機能 ソフトウェアシンセサイザー機能搭載(GS,GM演奏モード対応)
  • MPEG再生機能 ソフトウェアMPEG再生機能搭載(ビデオCD2.0対応)
  • PCカードスロット TypeII x 2(Type III x 1)[PC Card Standard準拠] ZVポート対応(ZVポートは1スロットのみ)
  • FAXモデム(33.6Kbps)
  • 外形寸法 297W) x 226(D) x 29(H) mm
  • 重量 約2kg
  • 備考 ファイルベース、ポートバー標準添付
  • (model Cは一太郎ロータス123インストールモデル・DがWord&Excelインストールモデル)


はポートリプリケータみたいに外部端子類をまとめた機器を装備したマシンってのはあったんだろうけど、CDドライブまで分離式に装備しているっていうのはまだ少なかったと思います。その中で気になっていたマシンがありました。DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション :現ヒューレット・パッカード)からリリースされていた「Digital HiNote Ultra」シリーズです。

Aileより約半年前の96年夏、日本DECはスリムタイプノート「HiNote Ultra II」2機種を発表していました。11.3インチのSVGA液晶を採用し、HDD1GB、CPUはPentium 133MHzと150MHz。MMXテクノロPentiumではなかったものの、スリムノートで150MHzは初搭載でした。スリムノートのライバルだったIBM ThinkPad 560(最上位モデル:2640-FJE/D Pentium 133MHz 12.1インチTFT液晶 1.08GB)より0.5mm薄い30.5mmの筐体サイズにまとめ、オプションの「6倍速モービルメディア」「ポートリプリケーター」という外部ユニットが装着できます。最初に見た時から非常に惹かれるものがありましたが、Dos/V機であるためアプリケーション資産(Cx2の)が流用できないことと、何より150MHzモデルで 728,000円 という凶悪な価格に手も足も出ませんでした。


年後、パクりと言われても仕様がないほどのデザイン・コンセプトに、基本スペックだけアップデートさせたAileが580,000円で発売された時点で、候補は一本に絞られていました。


「商品としてのPCのスペックは、半年で陳腐化する」と言われた時代。5月には既にmodel D2(535,000円)のリリースが発表されたため、私が購入した4月には実売420,000円でした。発売3ヶ月で27.5%も値崩れした計算です。


TFTカラー液晶は、共通筐体の下位モデル PC-9821Ls12/D10の12.1インチDSTNカラー液晶と比べ、明るさやマウスポインターの追随など別次元のものに感じられました。
98スライドパッドと呼ばれるタッチパッドを搭載していましたが、現在主流になっている指先の微電流を感知をする静電容量方式とは異なり、パッドに掛かる圧力で作動する感圧式だったと思います。
最初のノートでタッチパッドに慣れてしまったため、私は今でもポインティング・デバイス(通称グリグリね)が苦手で、指先に力を入れ過ぎて痛くなってしまい長い時間の作業ができません。
ソフトMPEG搭載でしたから、商品のCM画像もエンコードして取り込めば社外でもプレゼンできます。CPUの性能もあって、機能・サイズ共に満足できる一台でした。


ころがAileを活用し始めて1年も経たない97年10月に、またまた転機が訪れました。


創業社長との確執で私がシステム担当を罷免されて以降、わが社は専門のシステム管理担当の後任者を設けなかった為、わずか2年半で管理・運用上の齟齬が発生してきていました。2000年問題が話題にあがるようにもなっていた為、再び私をシステム専任担当として転属させたのです。この異動命令は、Aileにも影響を及ぼすことになりました。もともとモバイルシーンでの活用を意図していたにもかかわらず、内勤職に異動してからというもの、Aileに求められたのはフルスペック省スペースマシンとしての在り方でした。


結局、Aile本体がファイルベースやポートバーを分離することはほとんどなくなり、プリンタ・マウス・外部記憶デバイスなど、机にケーブルで縛り付けられるようになります。


ノートPCであった為、端から改造するような使い方を意図してはいませんでしたが、HDDの容量不足、メモリー不足を感じ始めたため、何らかの対策が必要となりました。


モリーに関しては、オンボード16MB+32MB増設の最大48MBまでがメーカー公称値でメモリ増設のメーカー保証限度でしたが、64MBのメモリ搭載で正常認識の記事を見つけたので早速アイ・オー・データの64MBメモリへ差し替えたところ無事認識されて合計80MBとなりました。ここまでは、改造には当たらない程度(とは言え、メモリはすでにメーカー保証外だけど)でしたが、HDDの換装となると、明らかに筐体を分解しなければなりません。デスクトップのようにケースオープンを前提に作られているわけではありませんので、ここから先は「賭け」みたいなものです。バラして元通りに組み立てられなかったら、それこそ目も当てられません。改造雑誌の記事やネットから情報を収集し、慎重に螺子を外しました。結果的に換装は成功しましたので、愛機のHDDは1.4GBから3.2GBになりました。HDDは日立の12.7mm厚をバルク購入しました。これは、私のAileが最大4.25GBまでしか認識できなかったからです。5月に発売されたmodel D2・C2は最大31.51GBまで認識できるようになっています。厳密には許容サイズを超えると認識しないのではなく、接続するとシステムがハングアップしてしまいます。これはIDE-BIOSの容量チェックルーチンに問題があるためで、ROMの内容を書き換えない限り回避することはできないようです。当時メルコなどのPC9821向けの換装用HDD製品には、ROMを書換える「ADVANCED BIOS」が添付されていました。


うしてAileは、99年にVAIO C1EXを購入するまで、メインノートとして活躍してくれました。ミレニアムの年、東京営業所の後輩にサブマシンとして貰われていったAlileは、第二の人生を東京で5年有余の間暮らし、リサイクル法施行後の2006年春、満身創痍で廃棄品として梱包され本社の私の手元に帰ってきました。


見捨てるに忍びなかった私は、結局自宅へ連れ帰ってしまいました。


つまり・・・Aileも未だ稼動状態で我が家にいるんですよ。




Windows98がリリースされた時代にあって、だんだんと退勢が見え始めていたPC98機であったAileは、周辺機器やアプリケーションの互換性の点からDos/V機へのディスアドバンテージを感じざるをえませんでした。NECのPC98というアーキテクチャにこだわり続ける以上、どうしようもない結果であったのですが、コレにも懲りず更にもう一度、私は同じ過ちを繰り返す羽目になります。

はい、みなさん、今回は大作でしたね。よっぽど2回に分けようかと思ったのですが、編集しづらかったので全文一挙公開になりました。小見出し代わりに切れ目の文字を大きくしたのは私の親切心です。


実は、私は営業部におけるパソコン・エバンジェリストでありまして、私とマンツーマンで仕事をした人間はことごとく私物パソコンの購入に走るのですが、この"98NOTE Aile"の"別次元の下位モデル"であるDSTN画面版(僕が言ったんじゃないよ)を、私の仙台時代の同僚が買っています。購入の際にヨドバシカメラにつき合った私は、自らの体験から「買えるんならTFTが良いよ」と助言はしたのですが、私と違って既に妻帯者で一児の父でもあった同僚はきっぱりとDSTN版を選択していました(だって値段が倍も違うんだもんなあ)。


岡目八目の一言。
"Aile"は本体+ファイルベース+ポートバーの3ピースで構成されていましたが、ファイルベース=ドッキングステーションではなかったので、外回りから帰ってから、ついついポートバーを取り付けずに作業を始めてしまい、いざプリントアウトしようとして、結線されていないことに気づき、あわててポートバーを取り付けるんだがプラグアンドプレイになってないので再起動…と同僚がやっているのを何回か見たことがありますw


さて、紆余曲折はありましたが、2度目の異動以降、彼は弊社のワン・アンド・オンリーのシステム担当として、この10年間仕事をしています。いよいよ社内で昼間っから大いばりでパソコンをいじくり回してきた彼の身に何が起こったのか?なにやら伏線ぽい引き方をしていますので、期待してしまいますね。


では次回をお楽しみください。さよなら、さよなら、さよなら…もうすぐ外は白い冬。