入院騒ぎと生誕地

先週から父の元気が無くて様子がおかしいと思いながら、透析には通っていたのでお医者さんにも会っているし、いいのかしらと思っていましたが、週末になってもやはりどうも苦しそうで顔色が悪いまま。透析の先生に相談したら、肺炎をおこしかけているので入院させた方が良いということになって、昨日の夕方に、今年の夏に入院していた五反田の総合病院に再入院させました。
今、酸素マスク付けられて闘病中です。


新聞の訃報等見ていると、結局老人の最後の死因は肺炎だったりするのが不思議だったのですが、結局こういうことなんですね。他の病気で抵抗力が落ちていると、若い頃にはなることもない、細菌やウイルスによる肺炎をおこしてしまうのです。また、お医者さんも結局、患者一人一人の普段の様子というのが分かっているようで分かってない(まあ、たくさんの患者を相手にしているので仕方ないんでしょうが)から、本人が「苦しい」とか「痛い」とかちゃんと云わない限り、先回りしてああだこうだと心配してくれるわけではないので、やっぱり家族が気をつけてないと大騒ぎになるわけです(しかも本人は頑固なのかスタイリストなのか、そういう症状を人に伝えない)。


そんなわけで、さっきも母と一緒に見舞いに行ってきました。帰りにお互いの気晴らしに旗の台で電車を降りて、懐かしい商店街を散歩してきました。私が生まれた1963年から1967年まで、家族3人で暮らした町で、母は約40年ぶりに町を歩いたことになります。昔どぶ川だったところが塞がれて公園になっていて、そのすぐ横の私が生まれた産院が、当時とほぼ同じたたずまいで残っているのを見つけて、母はよろこんでいました。院長先生の名前も変わってないということで、まだお元気で活躍していらっしゃるのでしょう。